只々、感謝。(2)救われ、助けられた立川オペラガラコンサート

右大腿骨の手術後毎日、足を動かすリハビリと、今後のための松葉杖をつく練習という入院生活。
肉体的にも精神的にも、とても堪えるものであった。
愛する妻、家族との面会はコロナのため禁止。
一日中、殆ど人と話すことも無く、カーテンで仕切られた病室に軟禁状態で、特にすることも無く自分の内面を見つめる毎日・・・。

白い天井を見つめる日々

これまでなら回復に希望を持ち、快癒後の生活、仕事に夢を描いたものだったが、今度ばかりは違っていた。
これからは自分の足で歩かない、松葉杖と車椅子の生活が始まるのだ。
これまでの生活とはまるで違う。
松葉杖での歩き方に、車椅子姿の自分に、中々慣れなかった。
ショックだった。
自分のそんな姿、嫌に決まっている。
諦めるしか無いのは十分理解している筈だったが、オペラ歌手として自分の足で立てない、自分の身体で表現が出来ない事が悔しくて堪らなかった。

わけもなく病室の白い天井を見つめる時間が長くなる。
見つめ過ぎると鬱になりそうになる。
当然食欲もあまり無い。

そんな中、味気の無い食事を何とか少しでも食べられるようにしてくれたのは、ナースセンター経由で届けてくれる着替えの中に、妻がこっそり忍ばせてくれた佃煮だった。

普段の健康な食事の時には、特に気にも留めなかった佃煮が、美味しかった。
有り難かった。
たった1パックの佃煮が僕の心の支えとなった。

再び始まる抗がん剤治療

最新の腎癌の抗がん剤は、中々の副作用だった。
吐気や下痢、気持ち悪さ、足のできもの、様々な副作用が出たが、大概のものはこれまでも我慢が出来た。
しかし、今回どうしても耐えられなかったのは、喉の不調だ。
歌う声どころか、喋り声さえも出なくなったのだ。

喋れない自分、歌う事が出来ない自分・・生きる張り合い、自分の大切なものを奪われて、生きる希望が全く無くなった。
歌う事も、教える事も、演技をして見せる事も、何もできない、全てを失ったパフォーマーは自分の存在意義を無くした。
引退の2文字が頭に浮かんだ。

生き甲斐である声を失ってまで、ガンと闘い、僅かながらの命の時間を引き伸ばすのか。
自分にとって生きる意味とは何なんだろう。

大いに悩み苦しみ、もうこんな薬は止めよう・・・そう決意して主治医に伝えようとしたその日、血液検査の結果をみて、逆に医師の方から言われた。
「牧野さん、この薬はもうダメだ、肝臓がやられてる。このままだと抗がん剤で死んでしまう。」
なんの因果かひとまず抗がん剤は一旦止めることができた。

救われ、そして再び舞台へ


抗がん剤の休薬により少しずつ少しずつ喉は戻ってきているものの、思うように歌える訳では無い。
3月20日に入っている立川オペラのガラコンサートをどうするか決めなくてはならない。喉の調子は戻るのか?どうすべきか答えは出ず、降板の連絡をするかどうか悩む日々が続く。
そうした中で、立川オペラの制作を担当されている宮崎京子さんに相談した。

「大丈夫、当日まで待ってますよ〜!」
そう返ってきたその言葉に僕は救われた。
焦る僕の気持ちは、その一言で本当に楽になった。

彼女には最初の手術の時も、立川オペラ「アイーダ」の時に温かい声をかけてもらって、僕は何とか出演し舞台への再起を誓うことができたのだ。

しかし喉の回復は、薄皮を重ねていくかのように遅々として進まず、実に苦しんだ。

そうして迎えた本番。
本当にギリギリだったし、決して満足のいく出来では無かった。

しかし、共演のプリマドンナ砂川涼子さんの存在に助けられた。
これまで何度も共演してきた自分の大好きなソプラノの声を身近に聴くのは、僕にとって何よりの薬となった。
心が躍り、生きる希望が湧いてくる。

この美しい声と、これからももっと共演したい、もっと一緒に歌っていたい!!
彼女の声に元気付けられたのだ。

この日、僕は宮崎京子さんと砂川涼子さんに、歌手としての命を助けられた。