「発声」というものは、イタリアオペラ、ドイツリート、フランス歌曲・・なんでも百点満点で歌える、オールマイティな「発声法」が素晴らしいのだと思い込んでいた。
私達日本人は、西洋の音楽を勉強する時、様々な国の音楽を耳にし、自由に勉強をする事が出来る。
歴史あるヨーロッパの音楽は、其々の国によって特徴や趣が異なるが、感受性が豊かで、他国の物を受け入れ易い我々は、どの国の音楽にも、比較的すんなりと入っていく事が出来、更に模倣する事が得意な我々は、その特徴や雰囲気を掴んで、素晴らしい演奏をする事ができる。
大学時代
私は音楽大学在学中に、ドイツリートを中心に勉強した。
シューベルトに始り、シューマン、ブラームス、プフィッツナー・・そして修士演奏は、フーゴー・ヴォルフのメーリケ歌曲集だった。
大学3年生の時には、大学時代師事した、荘智世恵先生宅のサロンコンサートで「冬の旅」を全曲演奏した。
しかし、それに加えて、大学入学前に短期間師事した、三林輝夫先生の影響でフランス歌曲のレパートリーも、かなり沢山勉強した。
こちらはグノーから始まり、フォーレ、アーン、そしてフランス人バリトンの最高峰、ジェラール・スゼーの公開講座では、ラヴェルの「ドゥルシネア姫に想いを寄せるドン・キホーテ」を歌った。
さらに大学3、4年生の試験では、良い成績を残す為にと、なるべく大きめのアリアという事で、ヴェルディの「マクベス」のアリア、卒業試験は無謀にもレオンカヴァッロの「道化師」プロローグを歌った。
もちろん今思えば、それらは青二才の演奏する、取るに足らないものだったかもしれないが、しかしその当時は、本当に真面目に取り組んでいたと思う。
ドイツリートは、フィッシャー=ディースカウを神と崇め、発音から音楽的なニュアンスまで、そして詩人とその背景にも気を配り、恰もドイツ人が歌っているような音色、ニュアンスを追求した。
フランス歌曲は当然、スゼーのそのセクシーな音色に惚れこみ、完璧なフランス語のディクションを目指し、独特の甘く繊細な歌い口を研究した。
イタリアオペラは、特にどの歌手ということは無かったが、高音が出易かった事を良い事に、不相応な大アリアを、只々デカい声を張り上げて歌っていた。
自分は何でも歌える・・と思っていた。
卒業後、誤魔化しながら歌っていた時代
しかし、大学学部も大学院研究科も、運よく比較的に良い成績で卒業し、イイ気になっていた私に、天罰が下り、状況は一変した。
「発声」の事を疎かにしたつもりは無かったが、結局は発音、ニュアンス、音楽表現を一生懸命やり過ぎたことで、声の輝きを無くし、若々しい声のツヤを失ってしまった。
色々なもの・・複数の言葉、ドイツ語、フランス語、イタリア語を、並行してガッツリとやり過ぎた結果だ。
「声」そのものの魅力も失ったが、発声的に幾つかの穴も出来ていた。
例えば、高音は出るのに、真ん中の「ラ」あたりが、どうやっても鳴らない。
フォルテで歌った後の、ソットヴォ―チェが息漏れでカスカスになる。
歌の種類で言えば、激しくドラマティックな曲は何とか誤魔化しが効くが、朗々と歌うカンタービレ、ベルカントオペラの単純なメロディが、どうにも歌えなくなっていた。
とは言え、当時小さなコンサートなど、幾つかのオファーも有ったので、それらの穴を誤魔化し誤魔化し、演奏していた。
自分的には、そこそこ良い演奏が出来ているものだと思っていた。
しかし、そんなに甘くは無い。
本人に面と向かっては言われないが、「彼は、歌は上手に歌うけど、声がなぁ・・」とか
「声が飛ばないからな~」「ちょっと声が年寄り臭いよな・・」という評価が、人伝てに耳に入るようになった。
真面目に勉強してきた筈なのに・・。
どんなジャンルの曲も、出来る事はきっちりと、やったつもりだったのに・・。
しかし、結果それがダメだったのだ。
簡単に言えば・・、ドイツ物はきっちりドイツ人が歌う様に、フランス歌曲はあたかもフランス人の様に、イタリアオペラは立派なオペラ歌手の様に・・追求し過ぎた結果、自分の本当の居場所が分からなくなってしまった、自分の喉に合った発声の仕方が分からなくなった、帰るべきマイホームが分からなくなってしまった・・という事だ。
そして発声と向き合う
発声の方法が分からなくなった。
声の弱点を、どうやって直せばいいのか、分からなかった。
この先、何をどうやって、歌っていけば良いのか、まったく進むべき方角を失った。
迷える子羊、いや大羊を導いてくれたのは、イタリアの発声法、イタリアの考え方であり、それを教えてくれた二人の先生だ。二人の大切な先生の事は、また項を改めて詳しくお話させて頂くつもりだが、兎も角、
「何でも百点満点で歌える、オールマイティな発声法など無い」
「発声は、一つの言語の発音に基づく」
「長く、トラブルなく歌い続けていく為には、『喋る事』の延長上で歌う」
が、自分が長い時間をかけて得た結論だ。
中学3年生の秋から声楽を勉強し始めて、およそ50年弱・・。
これまで自分が経験した事、学んだ事、様々な事を随想として、書き綴っていこうと思う。