オペラ誕生・・

バロック時代は声楽を勉強する者にとって、非常に興味深く面白い時代だ。
なにしろ、今クラシック音楽のジャンルで演奏される声楽関係のもの、例えばオペラ、オラトリオ、カンタータ、歌曲・・すべてのものが、まるで爆発するかの様に、たったの数十年の間に生まれているのだ。
そしてその誕生の仕方にドラマがある。
オペラはフィレンツェで生まれた。
当時、貴族やその土地の有力者は、パトロンとなって大きなお金を使い、音楽家だけでなく、様々な芸術家たちを抱えていた。
ある日のこと、芸術家たちが全員集められ、お殿様からのお達しがあった。
「この度、王女の結婚パーティが盛大に開催される。
ついては、お前たち皆で、なにか一つ出し物をやってくれ。」
芸術家たちは悩んだ。
何に悩んだか・・それは「お前たち皆で」という部分だ。
あらゆるジャンルのアーチスト達が、皆で、それぞれの素晴らしさを出し合って、一つの総合的な芸術作品を作るには・・。
頭を悩ませて出た答えが・・

「そうだ!何か劇をやろう!」

完全に、文化祭ノリで始まった話である。
小説家や詩人が、筋書や台詞、歌詞を作り、そしてそれに音楽家が曲を作って歌い演奏し、舞踏家たちは踊り、舞台背景、大道具は画家や彫刻家などの美術家たちが担当し、オペラは誕生した。
様々なジャンル第一級のアーチストたちが集結して、知恵を出し合い、舞台上にその粋を集めて行われるオペラは、当然ながらお金がかかる。
昔も今も、莫大な経費を援助してくれるパトロンが居なくては上演できないのだ。
お金の事はともかくとして、我々の祖先である歌い手たちが、その時、何を考え、何を生み出したのか・・である。

何と!・・ここで我々にとって、最も重要な事・・「発声法」が生み出されたのだ。
まずパフォーマンスの会場となったのは、オペラ劇場でもコンサート会場でも無く、宮殿の中の大広間だ。
舞台機構や音響効果のまったく整っていない場所、大広間の片隅に舞台を設え、いわゆる仮設舞台の様な場所で始まった。
当然、音響効果は悪い。
どう悪いかと言えば、床や天井、壁はすべて石で出来ている建物だ。
教会の大聖堂などを思い起こして貰えば分かるが、ワンワンと響き過ぎてしまう状況だったのだ。
そんな響き過ぎる中で、歌い手は何を求められたかと言えば、「朗々と響き渡る大きな歌声」では無く、「遠くまで良く響く明瞭な話し声」が必要だったのだ。
もちろん最初期のオペラは、いきなり「椿姫」や「カルメン」のような大きなオペラでは無く、簡素な伴奏にのせて、語る様な、詩を朗読する様な歌だった。
だから、声の大きさで観客の耳を嚇かすような、捻じ伏せるような歌では無く、語る事で歌詞の内容を明確に伝え、感動を与えたのだ。

これにはイタリア語の文法的な事も関係している。
イタリア語は、男性名詞、女性名詞、単数複数、現在過去未来、単語の語尾が全てを決める。
例えば、ブラーヴォなのかブラーヴァなのか、ブラーヴィなのか、言葉の最後が不明瞭では意味が伝わらないのだ。
だから会場の一番後ろの立ち見の観客の耳に、言葉の最後の母音まで、きっちりクリアーに聞こえないと、言葉の意味も、詩の内容も、感情も伝わらない。
そこで発明された発声法の極意が「Recitar Cantando」喋るように歌う、歌いながら演じる、
歌うように語る・・だ。

「歌う」事のお手本は「喋り」である。

「歌い方」の基本は「喋り方」に答えを求める。
無理をせず、無駄も無く、自然と身体に身についている「喋り方」にこそ、「歌い方」の大きなヒントが有る。
「歌い方」に関わる全ての身体の使い方は、「喋る」という幼い頃から自然と備わっている身体の使い方を基とする。
喉を広げ、不自然に大きな息を吐き、過剰に腹筋を使い、わざとらしく響かせようとした声は、ダメって事だ。
そして、自分がこれを実践してきた中で、結論として言える事は・・
新国立劇場や東京文化会館などの大劇場で、5階席まで明瞭に届く声は・・
「歌声」では無く、「喋り声」なのだという事だ。