農夫は、数か月ぶりに生き返った!

牧野正人 LA VITA 復活

6月より大学の授業が始まった。
それまでオンラインでのレッスンを試みたが、通信機器を使っての声楽レッスンは基本的に不可能という事が分かった。
音量、音質はまるで分からないし、さらに時差が生じるから、どうやっても半拍分くらい遅れが出る。

それで、仕方がないから、こちらから歌詞の読みなどの課題を出し、録音した物を送ってもらってチェックして返送したり、発声の話の動画を門下生に配信したり・・出来る限りの事はしたが、学生さんも住環境の都合で、声が出せない・歌えないという人が多く、対面でレッスン出来る日が来るまで、我慢するしか無かった。

待ちに待った大学での対面レッスン、大学のレッスン室も『飛沫感染防止ビニールカーテン』を採用、基本的には普段と変わりないレッスンが出来た。

ただ、レッスンが終わったら、その都度、入口ドアと窓を全開して換気をし、除菌スプレーで譜面台、椅子や机、ドアノブを消毒・・きっちりやっています。

レッスンを通して気づかされること

学生の中には2月から一度も歌ってません、と堂々と言う者も居り、普通なら「何やってたんだ!」と怒る所ですが、「大変だったな~」と宥めるしか無い。

確かに数か月休んだな~、とハッキリ分かる声の学生も居れば、久しぶりにレッスンで歌えるという訳で、元気を取り戻し、もの凄く良い声を出す生徒も居りました。

でも何より、一番元気になったのは、他でもない、この僕なのです。

門下の学生達を畑の作物に例えては、誠に申し訳ないのですが・・今回、自分は農夫だと思いました。

この数か月間、畑に出る事を禁じられ、自分の大切な作物たちが、水やりや肥料を与える事が出来ず、栄養が無くなり枯れてしまう・・
という居ても立っても居られない、早く水をやりたい、肥料を撒いて育てたい、という焦る気持ちが募っていたのです。

これこそが、自分の存在価値なのだ、と心から思いました。

僕は歌い手ですが、芸術家というよりは技術者だと思っています。
自分の歌を聴いてもらう時間、観客の前で、自分の芸を観てもらう為の、オペラやコンサートのステージに立つ事は、もちろん自分の使命だと思っています。

でも、自分の持つ技術や考えを人に伝える、後進に伝え育てるのも、ステージに立つ事と同じくらい、僕の大切な使命なのです。

弟子たちに、自分が演奏活動をして、歌い手としての背中を見せるという事も、歩む道を指し示す大切な教育活動なのですから・・。

農夫は、数か月ぶりに生き返った気がしました。

今一度、あの時の繋がりを

牧野正人 LA VITA 絆

2011年3月11日。
この日を境に、日本に暮らす人々の心が変わったと思っています。
東日本大震災の未曾有の大災害を経験して、人々の心は大きく変化しました。

こんな時こそ手を取り合って頑張ろう!
気持ちを一つにして復興にむけて一歩一歩前進して行こう!

あの時は『絆』という言葉がよく使われ、人は一人で生きて行くのでは無い、人と人は繋がっている・・と自分以外の誰か、夫婦、親子、兄弟、友人・・全く知らない人とだって何かしらの『縁』や『絆』で結ばれているものなんだ、と励まし合った。

困った時はお互いさま・・困っている隣人に手を差し伸べる。

計画停電があった東京、我が家は真っ暗な中、蝋燭の灯りの中で、家族が夕食のテーブルを囲んだ。

いつもは皆の視線がテレビの方を向いているが、この日は蝋燭の灯りの中、お互いの顔を見つめ合う。
ボンヤリ見える家族の顔が、いつもの蛍光灯の光より、何倍も優しく見えた。

大災害は人々に、必ず何かの反省を促し、教訓を残していく。
あの時は『人と人』『繋がり』を大切にする事を教えられた。

今回はどうだ、人と人が会ってはいけない、距離を取らなくてはいけない。

勿論オンラインでは会えるし、通信手段は有るから連絡は取る事が出来る、でも家にずっと居なくてはいけない、励まし合う事は出来るが、直接は会えない。

今回、僕はこの未曾有の感染症被害、コロナ禍でのステイホーム、幽閉期間で、
『自分を見つめる』
『自分の存在価値を確認する』
『自分は世の中にとって何なのか』
煩雑で多忙な日々の中で、見失いそうになっていた『自分』というものを、しっかり見つめる事の大切さを教えられた気がした。